No.003-医療訴訟における因果関係

弁護士・医学博士 金ア 浩之

 

(1)医療訴訟に内在する立証の困難性

 

医療過誤、医療事故、医療ミスなどによる医療訴訟において、医師の過失・因果関係を立証することが困難を極めることは、実務家の間ではほぼ共通認識といってよい。証明の困難性について、一般的には、次のようなことが指摘されている。

 

@ 証拠の偏在:因果関係を確定するために重要な資料となる医学的情報が被告である医療側に偏在している。
A 患者側の専門知識の欠如:一般に患者側は、その代理人である弁護士も含めて、医学知識に精通していない。
B 裁判所の専門知識の欠如:原告代理人と同様に、裁判所も一般的に医学知識に精通していない。
C 患者の個体差と機序特定の困難性:一般的に医学の領域では患者の個体差が大きいとされ、具体的な医療行為に対する患者の生体反応は一様ではない。また、生じた結果に対して影響を与えた機序は複雑であることが通常で、これを医学的に確定することは不可能もしくは著しく困難である。

 

このうち、因果関係を検討するうえで最も深刻な問題は、Cであると思われる。なぜなら、@ないしBの問題はあくまでも訴訟技術的な問題に過ぎないが、Cは医学の限界に起因する問題だからである。

 

(2)東大ルンバ−ルショック事件判決

 

医療訴訟における因果関係のリーディング・ケースは、いわゆる東大ルンバ−ルショック事件の最高裁平成50年10月24日第二小法廷判決である。最高裁は次のように判示している。

 

「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。」

 

この最高裁判例は、医療訴訟に固有の準則ではなく、他の不法行為事案にも通用性が認められるものと理解されているが、医療訴訟との関係で言えば、一点の疑義も許さない科学的証明は必要ないことを明示した点や、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるもので足りるとした点に意義が認められる。

 

もっとも、同判決は、“特定の結果”の内容を定義していないため、この特定の結果とは、例えば死亡事案であれば死亡を意味し、後遺障害が残った事案では後遺障害自体が特定の結果であると理解されるようになる。
そして、高度の蓋然性を証明するとは、証明主題の正しさを80%以上の確率で証明することと理解されたため、例えば患者が死亡した事案では、「仮に当該医師が適切な診療行為を尽くしていれば、患者の死亡を避けられた可能性が80%以上であることを証明すること」と理解されるようになる。

 

しかしながら、この判断準則を文字通り適用すれば、医師の過失が明らかであっても、救命可能性(死亡事案の場合)が80%を下回るケースでは、医師の責任は否定されることになる。
実際に、この法理にしたがって、救命可能性が60%〜70%台にとどまることを理由に、因果関係を否定した下級審判例が散見される注1)。

 

このような因果関係の判断手法に問題があることは容易に理解できる。なぜなら、この論理で医師の責任が否定されるのであれば、救命率が80%を越える症例を除いて、医師が結果に対して責任を負うことはなくなるはずだからである。

 

(3)肝がん事件判決

 

ところが、最高裁平成11年2月25日第一小法廷判決は、上記東大ルンバ−ルショック事件判決を引用した上で、次のように判示した。

 

「医師の右不作為が患者の当該時点における死亡結果を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば、患者が死亡した時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである。」としたうえで、「患者が右時点の後いかほどの期間生存し得たかは、主に得べかりし利益その他の損害の額の算定に当たって考慮されるべき事由であり、前記因果関係の存否に関する判断を直ちに左右するものではない。」

 

この最高裁判決は、東大ルンバ−ルショック事件判決にいう“結果”を抽象的な死亡ではなく、現実に発生した“当該時点における死亡”に置き換えた。この判例理論に従えば、救命率が80%を下回る場合に限られず、救命は絶望的でも相当期間延命できる高度の蓋然性があれば、因果関係が肯定され得ることになる。そして、いかほどに救命が期待できたか、どの程度の期間延命可能性があったかは、損害額の算定で考慮される事情に過ぎないとしたのである。

 

(4)いわゆる相当程度の可能性理論

 

上記最高裁平成11年2月25日判決が、患者側の証明責任を軽減することは明らかである。そして、その翌年の平成12年には、最高裁から、さらにその証明責任を軽減し、患者保護を拡大する判決が出されることになる。

 

最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決は、「右医療行為と死亡との間の因果関係は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば、患者が死亡した時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である。」と判示した。
これにより、延命の高度の蓋然性が認められないため因果関係は否定されても、延命の相当程度の可能性が立証されれば、医師は一定の損害賠償義務を負うことになったのである。

 

ところが、ここから下級審判例の医療訴訟における因果関係論は迷走することになる。前記平成11年の最高裁判例は置き去りにされ、この平成12年最高裁判例を基礎にして、因果関係を否定することで医療側に配慮を示し相当程度の可能性理論によって患者側に一定の保護を与えるという大岡裁きが横行したからである注2)。平野哲郎教授は、この現象のことを“相当程度の可能性ラッシュ”と称して、これを同理論の副作用として位置づけている。

 

もっとも、相当程度の可能性理論を前提とする以上、長期間の延命は想定されていないことから逸失利益の賠償は含まれないのが通常であり、賠償の範囲は慰謝料にとどまるというのが現在の下級審判例の運用である。加えて、その賠償額も、生存や長期延命が確実視された患者の場合と同列に評価することはできないことから、概ね200万円から300万円の範囲が多く、比較的少額にとどまっている注3)。
そのため、相当程度の可能性理論の登場が、因果関係を否定する口実を下級審に与えることになり、患者側は少額賠償で甘んじることを余儀なくされ、却って患者側の保護は後退したという評価もみられる注4)。

 

ちなみに、前記平成11年の最高裁判例以降に、同最高裁判例の判断準則に基づいて因果関係を検討した下級審判例は、今のところ存在しないようであり、このような影響もあるせいか、平成11年最高裁判例については、「平成12年最高裁判決につなぐための過渡的な見解であり、先例としての意義を失った」という評価さえもみられる注5)。

 

(5)わが国及びコモンロー諸国の学説状況

 

1. 優越的蓋然性説

 

新堂幸司、伊藤眞、三木浩一教授らは、民事訴訟における証明度について、「優越的蓋然性説」を提唱されている注6)。そして、優越的蓋然性とは、確率的に表現すれば、60%程度の蓋然性をいうとされている。この見解は、従来の「高度の蓋然性説」に対して、証明の程度を緩和するものと理解できる。同教授は、優越的蓋然性説の根拠として、以下のような理由を挙げる。

 

第1に、現行の民事訴訟法典に証明度に関する明文規定はなく、いわゆる高度の蓋然性説は、わが国の民事訴訟法が大陸法の伝統を受け継いでいるという歴史的背景として生まれたものに過ぎない。

 

第2に、誤判の危険を最小化する証明度こそが最も真実発見に資する証明度であることを前提に、原告に有利な証明度は被告に不利な誤判を誘発するし、原告に不利な証明度は被告に有利な誤判を誘発するので、両者に均等に設定された証明度だけが誤判の危険性を最小化できる。

 

第3に、刑事訴訟における高い証明度は、「疑わしきは、被告人の利益に」という政策目標により、被告人に不利な誤判を最小化する代償として、被告人に有利な誤判を最大化しているに過ぎず、民事訴訟においては、そのような政策目標は存在しない。

 

2. 確率的心証論

 

この見解は、倉田卓次裁判官が提唱している考え方で、確率的な心証を損害額の立証に反映させようとするものである。例えば、損害賠償請求における因果関係の存在について、60%の心証を得た場合には、損害の60%の限度で因果関係を認めるものである注7)。

 

この見解は、直接的には交通事故事案における損害の算定で提唱されたものであるが、医療訴訟にも十分通じる考え方であると思われる。なお、この見解に基づき、確率的な因果関係の存在を認めた判例として、東京地判昭和45年6月29日、東京地判昭和47年7月17日、水戸地判昭和50年12月8日、宮ア地判昭和58年9月26日などがある。このような考え方を是認する最高裁判例はみられないが、下級審では一定の支持を得ている。

 

3. ベイズ決定理論援用説

 

これは、太田勝造教授の唱える見解で、同教授は、事実認定ないし心証形成とは、証明主題の主観的蓋然性が、証拠等の集積により確率論であるベイズの定理に従って変動する蓋然性の証明であると説明する注8)。

 

この見解の適用は、蓋然性に関係する確率的数値が明らかとなっている事例に限られるのではないかという疑問があるが、統計的資料によりデータが比較的豊富にみられる医療訴訟では親和性が高いのではないかと思われる。

 

4. but for test(あれなければこれなしという基準)

 

イギリス、アメリカなどのコモンロー諸国では、不法行為における因果関係について、but for testという判断準則が判例法上確立している注9)。このbut for testによれば、医師の過失がなかったら、その悪しき結果は発生しなかったといえるか否かが検討されることになる。
この判断準則は、わが国の刑法において、条件説と呼ばれるものに対応しているものと考えられる。

 

しかしながら、このbut for testを形式的に適用すると、不都合が生じることが少なくない。特に、医療の分野においては、医師の過失のほかに、結果発生に寄与した他原因が存在しうることは珍しくないからである。例えば、結果に寄与した他原因として考え得るものに基礎疾患が挙げられる。医療行為の対象となる患者は、健常者ではなく、何らかの基礎疾患を有している。この基礎疾患の結果発生に対する寄与度が相当程度認められると、医師の過失との間の因果関係は否定される方向に働く。また、医師の過失によらない医原性の他原因(不可抗力)が結果発生に寄与することも少なくない。臨床では、検査、投薬、手術等、生体に対する様々な侵襲行為が実施されていることが多い。そして、これらの医療行為が結果発生に寄与した可能性があれば、先の基礎疾患の場合と同様の議論が起こることになる。

 

そこで、多くのコモンロー諸国においては、このbut for testによって妥当な結論を導けない場合に、後述のmaterial contribution testやloss of chance doctrineを補充的に採用し、結論の妥当性を図っている。

 

5. material contribution test

 

この判断準則は、先に示唆したとおり、but for testで妥当な解決が図れないときに、補完的に用いられる判断準則である。特に、イギリスの判例に多くみられる。この基準によれば、患者に生じた悪しき結果に対して、医師の過失を含めて複数の原因が存在する場合に、医師の過失が結果の発生に対してmateriallyに貢献・寄与したものと評価できれば、因果関係は肯定されることになる。問題は、結果発生に向けた“material”な貢献・寄与とは何かである。

 

このmaterialの概念について、医師の過失がprincipal cause(主要な原因)であることを立証する必要はないと判示したイギリスの裁判例がある注10)。また、ある結果の発生に対して、例外的事象とみられる原因以外は、あらゆる原因がmaterialと評価できると判示したイギリスの裁判例もみられる注11)。
この基準によると、当該医師の過失が結果との関係で例外的な機序と評価されない限り、医師は結果に対して帰責されることになるので、多くのケースにおいて因果関係は肯定されることになるものと思われる。

 

もっとも、この判断準則は、あくまでもbut for testで不都合が生じる場合に補充的に用いられるものであり、コモンロー諸国においても原則的な判断準則としては位置づけられていないようである注12)。

 

6. material increase in the risk of injury

 

この判断準則は、医師の過失が患者のリスクを高めたといえるような事情がある場合にも、医師の過失と結果との間の因果関係を認めるための法理である。例えば、ある患者の死亡リスクが医師の過失により増加したような場合、医師の過失と結果との間の因果関係が肯定され得ることになる。

 

もっとも、ここで重要なことは、医師の過失によってリスクが増加した部分を医師の側で立証しない限り、患者に生じた損害全額について、医師は責任を負うことになる点である。例えば、ある患者の死亡リスクが20%であった場合において、医師の過失によりそのリスクが50%に増大したことを医師が証明すれば、そのリスクの増加部分(50%−20%=30%)についてのみ責任を負うが、このリスクの増加部分が明らかでない場合には、損害全体に対して責任を負うことになる。

 

ちなみに、この法理は、イギリスでは前述のmaterial contribution testの一類型に過ぎないものと位置づけられているが、アメリカにおいては、後述のloss of chance doctrineのアプローチ方法のひとつと考えられているようである注13)。

 

7. loss of chance doctrine(機会喪失の法理)

 

機会喪失の法理とは、例えば、適切な医療行為がなされれば救命確率30%の疾患を有していた患者において、医師の過失により適切な治療の機会を奪われた場合に、その奪われた機会自体を損害として位置づけるものである。この法理に従えば、患者に生じた損害のうち、30%の割合で医師は賠償責任を負うことになる。

 

ちなみに、この法理は、アメリカにおいては、一部の州を除き、ほとんどの州裁判所が採用している法理であるのに対し、カナダでは消極的な姿勢がみられる注14)。

 

 

注1)大阪地判平成22年9月29日は5年後生存率78%を、札幌地判平成24年9月5日は院内生存率71%を、仙台地判平成17年2月15日は5年後生存率60%程度をそれぞれ認定したうえで、因果関係を否定している(平野哲郎著「医師民事責任の構造と立証責任」248頁)。

 

注2)東京地判平成16年3月25日は生存可能性30%を、大阪地判平成19年7月30日は治癒率30%を、東京高判平成13年11月5日は生存退院率30%未満を、東京地判平成19年8月24日は数ヶ月の延命可能性20%を、徳島地判平成21年4月27日は生存可能性10〜40%を、京都地判平成20年2月29日は、蘇生率約0%をそれぞれ認定したうえで、相当程度の可能性理論を適用して、患者側の請求を一部認容している(前掲平野248頁)。

 

注3)慰謝料として100万円を認容したものに大阪地判平成16年4月28日が、200万円を認容したものに東京地判平成13年7月4日、東京高判平成13年11月5日、東京地判平成15年1月27日、東京地判平成15年6月3日が、300万円を認容したものに東京高判平成15年8月26日、大阪地裁堺支判平成16年12月22日が、400万円を認容したものに東京高判平成13年10月16日がある(浦川道太郎ら編「専門訴訟講座C医療訴訟」349頁)。

 

注4)手嶋豊教授は、「高度の蓋然性の証明水準を高くする反作用が生じ、従来であれば逸失利益まで含めた全額が認められたと思われる事案が、低額の慰謝料のみを命じる処理になっているとの指摘もある」としている(甲斐克則ら編「医事法判例百選第2版」149頁)。

 

注5)越後純子准教授は、「本判決の枠組みではなく、12年最判を用いて請求を認めた裁判例が主流であることからすれば、本判決はあくまで、12年最判への架橋をなす過渡的な位置づけであったとの評価を支持する」としている(甲斐克則ら編「医事法判例百選第2版」141頁)。

 

注6)三木浩一著「民事訴訟における手続運営の理論」428〜470頁

 

注7)倉田卓次「民事交通訴訟の課題」200頁

 

注8)太田勝造著「裁判における証明論の基礎−事実認定と証明責任のベイズ論的再構成」13頁

 

注9)アメリカにおけるbut for testについては、樋口範雄著「アメリカ不法行為法第2版」133頁。イギリスについては、Michael Boylan、A Practical Guide to Medical Negligence Litigation, p34、オーストラリアについては、p58−p59。

 

注10)Michael Boylan、A Practical Guide to Medical Negligence Litigation, p37.には、以下のような記述がある。
 “A claimant does not even have to prove that the wrongdoing act or omission was the principal cause of his injury or illness.”

 

注11)Michael Boylan、A Practical Guide to Medical Negligence Litigation, p40.には、以下のような記述がある。
“Any contribution which does not fall within that exception must be material.”

 

注12)Michael Boylan、A Practical Guide to Medical Negligence Litigation, p64.

 

注13)この法理のイギリスにおける体系的位置づけについては、Michael Boylan、A Practical Guide to Medical Negligence Litigation, p43−44.アメリカに関しては、樋口範雄「アメリカ不法行為法第2版」150頁。

 

 

 

注14)機会喪失の法理のアメリカ国内の浸透について、平野教授は、「アメリカ法律家協会が2010年に公表した第3次リステイトメント26条は、『最近のほとんどの裁判例により、機会の喪失は法的に認められた損害であるという方向性が決定的なものとなった』と述べるにいたっている。」と解説している(平野哲郎著「医師民事責任の構造と立証責任」189頁)。
カナダに関して、同教授は、「カナダ連邦最高裁は、不法行為に基づく医療過誤のケースでは、機会損失論は採用しないとの判断を示したと解釈することも不可能ではない。
しかし、同判決の事案と判示からは、連邦最高裁は悪結果が現実に発生した場合については機会喪失論は適用しない、と述べたに留まり、悪結果が発生しなかった場合については判断を留保していると理解する方が妥当であろう」と述べる(同著197頁)。

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