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相当程度の可能性法理(最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決)

相当程度の可能性法理(最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決)

弁護士・医学博士  金 ア 浩 之

 

事案の概要

 

 本件患者(当時56歳の男性)は、平成元年7月8日午前4時30分頃、突然の背部痛で目を覚まし、自動車で本件病院に向かった。そして、同日午前5時35分頃、本件医師による診察が始まった。触診や聴診では異常が認められず、本件患者の症状の発現部位や経過から、本件医師は、一次的に急性膵炎を、二次的に狭心症を疑い、鎮痛剤を筋肉注射するとともに急性膵炎の治療のための薬剤を点滴静注した。ところが、本件患者は、点滴中突然痛みを訴えて大きく痙攣し、いびきをかいて眠りについたような状態に陥り、その後呼吸停止に至った。駆けつけた本件医師は、心臓マッサージ等の蘇生処置を試みたが、同日午前7時45分頃、本件患者は死亡した。死因は、不安定狭心症から急性心筋梗塞に進展したことによる心不全であることが判明したが、本件医師は、二次的に狭心症を鑑別疾患に挙げておきながら、血圧や脈拍等の測定もしておらず心電図検査も実施していなかった。また、狭心症が疑われる患者に対する初期治療として推奨されるニトログリセリンの舌下投与もなされていなかった。鑑定人は、「これはおよそ医療と言えるものではない」との意見を表明したが、臨床経過に鑑み、適切な診療行為を尽くしても救命できた確率は20%以下であると結論づけた。
 一審は、鑑定人の意見を踏まえ、医師の過失と患者の死亡との間の因果関係を認めることができないとして者側の請求を棄却したが(東京地判平成7年4月28日)、原審は、医師の過失により、患者が適切な医療を受ける機会を不当に奪われたことによって受けた精神的苦痛を慰謝すべき責任があるとして、慰謝料200万円を認容した(東京高判平成8年9月26日)。この原審の判決を不服として、病院側が上告した。

 

判決要旨

 

1 相当程度の可能性法理

 

 最高裁平成12年判決は、「医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、右医療行為と患者との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば、患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である。けだし、生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき利益であり、……患者の法益が侵害されたということができるからである。」と判示した。

 

2 本件への当てはめ

 

 最高裁は、上記のとおり判示したうえで、次のように述べて、病院側からの上告を棄却した。
「原審は、……医師の不法行為の成立を認めた上、その不法行為によって患者が受けた精神的苦痛に対し、……慰謝料支払の義務があるとしたものであって、この原審の判断は正当として是認することができる。」

 

解説

 

1 期待権侵害、適切な医療を受ける機会の喪失

 

 一審は、医師の過失と患者の死亡との間の因果関係を否定して患者側の請求を棄却したが、原審は、医師の過失を認定したうえで、患者が適切な医療を受ける機会を不当に奪われたとして、医療側に慰謝料200万円の賠償を命じた。
 原審の法律構成は、患者の“適切な医療を受ける機会の喪失”であるが、これは従来いわゆる“期待権侵害”と称されてきたものと同じである。期待権侵害論に対して患者の主観的な期待は法的保護に値しないとの批判が強かったが、これを客観的に再構成したものが、適切な医療を受ける機会の喪失と解される。およそ診療契約において、医師から適切な医療を受けることは患者の当然の権利であるが、これを患者の期待と表現したことから議論の混乱を招いた。期待権という表現よりも、適切な医療を受ける権利として構成したほうが適切であったと思われる。もっとも、期待権という概念は、医療訴訟の実務においても、また学者が使用する概念としても定着していることを考えると、ここで“適切な医療を受ける権利”とすることは、さらなる議論の混乱を招きかねないので、本稿においても、期待権という概念を使用する。

 

2 患者生存の相当程度の可能性と新たな保護法益

 

 原審は、いわゆる期待権侵害として医療側の慰謝料支払義務を導いたが、本判決は、相当程度の可能性という新たな法益を創設して、原審の判断を是認した。
 ここで、いくつか注意しなければならない点がある。
 第1に、本判決は、患者が生存できた相当程度の可能性を生命それ自体とは異なる新たな保護法益としたものであって、証明度を軽減させて患者側の立証負担を緩和したものではない。したがって、ルンバ―ルショック事件判決以来の高度の蓋然性理論は維持されている。
 第2に、相当程度の可能性法理が要求する可能性の程度は、かなり小さいものでもよく、明らかに生存可能性がないといえる場合を除いては、この法理によって保護される余地があるという点である。その証左として、本判決が救命率20%以下とした鑑定意見を前提に相当程度の可能性侵害を肯定していることから、高い生存確率は要求されていないことが読み取れる。
 第3に、生存確率が低くてもよいことと密接に関連するが、医師の過失が認定されれば、相当程度の可能性の侵害は事実上推定される。当該患者に対して適応がある有効な治療法が存在する以上、適切な医療行為の実施には、通常は何らかの予後改善効果があるはずだからである。したがって、高度の蓋然性理論を前提としても、医師の過失を証明すれば相当程度の可能性侵害は事実上推定されることになるため、実質的には、患者側の立証負担はかなりの程度軽減されることになる。

 

3 保護法益の内容、損害論、そして残された課題

 

 もっとも、相当程度の可能性という保護法益の内容をどのように理解するかは、この法益侵害によって賠償されるべき損害の範囲に大きく影響する。
 期待権と同様に、これをある種の人格権侵害と構成すれば、死亡慰謝料や逸失利益は、賠償範囲から除かれることになる。本判決以降の下級審判例の多くが少額の慰謝料しか認容せず、逸失利益の賠償を認めたものが皆無であることから、下級審の判例実務は概ねこの考え方に立つものと思われる
 しかしながら、相当程度の可能性を人格権の一種1と捉えることには甚だ疑問である。最高裁は、「生命を維持することは人にとって最も基本的な利益」としたうえで、「右の可能性は法によって保護されるべき利益」と結んでいることに鑑みると、この法益が生命それ自体ではないとしても、それに準じた保護法益と考えるのが妥当なように思われる。特に、生存可能性の程度が、死亡との間の因果関係を認めうる水準に近い場合、これを単なる人格権侵害と構成して少額の慰謝料賠償しか認めないというのは著しく不合理である。
 これに関連して、杉原調査官解説では、少なくともこの保護法益を人格権として位置づける記述はない2。また、これを人格権として理解する見解の根拠として少額の慰謝料しか認容されていないことが指摘されることがあるが、そもそも本事例は、病院側からの上告によるものであるから、慰謝料額の当否に関しては判断されていない。前記調査官解説は、より高額な慰謝料を認めるべきか否かは残された課題だとしたうえで、逸失利益等の財産的損害の一部を認める可能性も示唆されている3
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1 大島眞一「医療訴訟の現状と招来−最高裁判例の到達点−」判例タイムズ1401号(2014)70−71頁。
2 杉原則彦『最高裁判所判例解説民事編・平成12年度(下)』(法曹会、2003年)860頁。
3 前掲注(2)864−865頁。

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