弁護士・医学博士 金 ア 浩 之
(1)問題の所在
損害賠償の算定基準は交通事故事案を中心に進化・発展してきたが、医療事故事案における損害賠償額の算定も基本的に交通事故事案の算定基準が今日まで活用されてきた。
しかしながら、医療事故事案に対して、交通事故事案で活用されてきた算定基準をそのまま用いることに疑問である。特に、一律2000万円という高額な死亡慰謝料を高齢者事案に適用することに合理的理由がない。
杉浦論文のこの問題意識は、ある大学病院の院長の「死亡慰謝料が一律最低2000万円であるならば、高齢者に対する手術は断った方が安全である」という発言に端を発している。
(2)交通事故事案と医療事故事案の異同
ア共通点
交通事故訴訟の損害賠償算定基準は、人の死亡や傷害についての損害を算定したものであって、交通事故特有の損害を算定したものではない(論文137頁)。→医療訴訟にも妥当する。
イ相違点
@交通事故の場合は、健康な者が突然交通事故の被害者になるのに対して、医療事故の場合は、診療契約の存在を前提に、何らかの疾患を有している患者が被害者である。
A交通事故の場合は、損害算定の定式化により迅速かつ妥当な賠償額を算定することにより被害者の救済が容易になったのに対し、医療事故の場合は、被害者の救済というよりは、真相の究明(真実の発見)が訴訟の主たる目的となっている場合が多い。
(3)杉浦論文の提言
医療訴訟の上記特色(@、A)を重視して、高齢者死亡慰謝料の最低額200万円を提言。
理由
ア介護事故訴訟においても、死亡慰謝料2000万円という相場は崩れている(但し、依然として高額である。例:86歳男性-1500万円、79歳男性-1200万円、87歳男性-1200万円、85歳女性-1000万円、87歳女性-1300万円など)。
イ名誉毀損事案における慰謝料の相場は100万円前後。→これよりは高額であるべき。
ウ医療訴訟における見舞い金和解の相場が50万円〜150万円。→これよりは高額であるべき。
(1)杉浦論文の問題点
杉浦論文は、冒頭で紹介したように、ある大学病院院長の「死亡慰謝料の一律最低2000万円は高額に過ぎる」という発言に端を発しており、この発言に続き同院長が「高齢者の手術は断った方がよい」などと医療の崩壊ないし萎縮を示唆したことに危機感を抱いたことが、同論文発表の強い動機となっているようである。
しかしながら、医療訴訟の特殊性や被害者が高齢者である場合の特殊性を考慮に入れたうえで、死亡慰謝料を最低200万円とする提言は、数多くの問題を含んでいる
(2)死亡慰謝料2000万円は高額か
まず、先に紹介した大学病院院長の「死亡慰謝料一律2000万円は高額」であるとの発言は、その前提に大きな誤解があるように思われる。
そもそも、2000万円という高額な死亡慰謝料が認定されるのは、医師の過失のほか、死亡との因果関係が肯定された場合に限定される。そして、医療事故の被害者である患者は何らかの疾患を有していることから、死亡との間の因果関係が否定されることも少なくない。そうすると、たとえ医師の過失が認められても、因果関係が否定されれば、患者は何らの損害賠償も得られないということになる。このような背景から、いわゆる「相当程度の可能性法理」が最高裁によって構築されたという背景がある。そして、この法理によって認容される慰謝料額は、数百万円程度にとどまっているというのが裁判実務の主流であるという指摘もある。そうすると、医師側が実際に支払う慰謝料額は、杉原論文が提言している200万円とさほど変わらない金額に落ち着いていることになるが、同大学病院の院長は、このことを認識していない可能性がある。
(3)医療訴訟の患者側の主たる目的は真実の発見か
医療訴訟の患者側の主たる目的が真実の発見にあるという杉浦論文の指摘は一般的に言われていることではあるが、多分に疑わしい。
そもそも、民事訴訟制度自体が、真相究明を目的に裁判制度を利用できる体裁になっていない。患者側が医師の過失と因果関係を証明できなければ、請求は棄却されることから、その場合には真相は明らかにならないままに事件は終結することになる。仮に真実の発見という目的があったとしても、それは付随的・副次的なものにとどまるといってよい。
また、杉浦論文が、真実の発見が患者の主たる目的であることを根拠のひとつとして、死亡慰謝料の低額化を正当化・合理化しようとしている点も問題である。患者側が原告として求めているのは損害賠償であるのに、「真の目的は真相究明」と読み込んで、被害回復の要請を過小評価することになるからである。
(4)杉浦論文の射程範囲はどこまでか
杉浦論文のタイトルを見る限り、高齢者、特に平均余命を過ぎている高齢者の場合における医療訴訟の死亡慰謝料について考察するようにも読める。平均余命を越えた高齢者(例えば、90歳代)について、死亡慰謝料200万円を最低金額とするのはあながち不合理とは思われない。
しかしながら、杉浦論文は、低額化された死亡慰謝料を正当化する根拠として、医療訴訟の特殊性、すなわち、@医療訴訟では、もともと何らかの疾患を抱えた患者が被害者であること、A医療訴訟の主たる目的は、損害の回復ではなく真実の発見であることを交通事故事案との重要な相違点として指摘している。そうすると、この杉浦論文の延長線上には、高齢者ではない患者が被害者であるケースにおいても、死亡慰謝料の低額化に向けて水門を開く危険性を内包している。
また、平均余命を越えた高齢者であることが死亡慰謝料を低額化させる根拠になるのであれば、被害者が医療訴訟の患者である場合に限定する合理性はなく、例えば、交通事故事案においても、被害者が高齢者である場合には死亡慰謝料を低額としなければ一貫しない。そうすると、死亡慰謝料の低額化は、医療訴訟のケースにとどまらず、あらゆる損害賠償請求事案について、その水門を開く危険性を有している。
もっとも、杉浦論文は、死亡慰謝料が一律2000万円とされてきた実務に対して、重要な問題提起を含んでいると思われる。というのは、そもそも死亡慰謝料が一律2000万円であることが合理的であるのか疑問だからである。
医療訴訟・交通事故訴訟における死亡慰謝料額のあり方としては、むしろ次のように整理するのが合理的だと思われる。
第1に、医療訴訟の場合で当該疾患の根治可能性が高かったと認定できる場合には、交通事故事案に準じて、死亡慰謝料を2000万円とするのが合理的である。なぜなら、この場合は、たとえ被害者が何らかの疾患を有していたとしても、根治可能性が高かった以上、死亡したことに対する責めを全て医師に帰するのが適切だからである。
第2に、根治可能性は低いと評価されるが、死亡した時点における生存の可能性は高かったといえるケース(最判平成11年11月25日)では、予想される余命を考慮に入れて相当程度の減額修正を行うのが相当である。例えば、余命が数ヶ月しか見込めなかったような事案では、死亡慰謝料額を200万円程度とすることはあながち不合理ではない。ここで、杉浦論文が指摘しているように、元々何らかの疾患を有していた患者が被害者であるという医療訴訟の特殊性が考慮されることになる。
第3に、患者が高齢者である場合、特に平均余命を過ぎた超高齢者の場合には、第2に準じて、余命が相当短期であることを考慮して、死亡慰謝料額をかなりの程度減額する。特に、平均余命を過ぎた高齢者の場合には、死亡慰謝料額を200万円程度とすることは不合理ではない。ここで、杉浦論文と同様に、被害者が高齢者である場合の死亡慰謝料が高額となる不都合を回避できる。
第4に、交通事故の事案では、原則として死亡慰謝料が2000万円でも高額に過ぎることはないと思われるが、被害者が高齢者の場合には、第3に準じた減額を行うのが正当であろう。ここでは、高齢者であることが減額の根拠となっているのであるから、医療訴訟の特殊性は捨象するのが相当だからである。
最後に、患者側が医療訴訟を提起する目的が真実の発見であるか否かは、死亡慰謝料額の算定に際して考慮しない。損害賠償を請求している訴訟であるのに、訴訟の真の目的が何であるかを斟酌して減額するのは筋違いだからである。