患者さん(60代、女性)は、健康診断で肺がんが疑われ要精密検査となり、CT検査(単純CT)を受けましたが、右下肺野に最大径4p大の腫瘤陰影が発見されました。主治医は、肺炎との鑑別のため、これを経過観察としましたが、その約2ヶ月後の胸部X線検査で陰影の縮小が認められなかったため、患者さんに気管支鏡検査を薦めました。
ところが、患者さんは、親族の結婚式を控えていたため、検査を結婚式の後にしてほしい旨伝えたところ、主治医は、再び経過観察としました。それからさらに約2ヶ月後(異常所見発見から4ヶ月後)、陰影が大きくなっていたことから、気管支鏡検査が実施されましたが、生検で採取した検体から悪性所見が得られなかったため、再び経過観察となりました。それからさらに2ヶ月後(異常所見発見から6ヶ月後)、患者さんの容態が悪化したため、全身に対して精密検査が行われ、低分化の肺腺癌と診断され、骨転移も発見されました。
患者さんは、化学療法を受けましたが、治療が奏功することはなく、その約4ヶ月後に亡くなりました。患者さんの遺族は、精密検査の初診時にCT検査で4p大の腫瘤が発見されているにもかかわらず、主治医が、確定診断のための必要な検査を怠って経過観察を繰り返したことにより、患者さんは適切な治療機会を失い死亡するに至ったとして、被告病院に対して提訴しました。
この事例では、某大学医学部呼吸器内科の教授から意見書を得られたため、勝訴の見込みが高いと考え提訴しましたが、過失論・因果関係論ともに大論争となり、カンファレス鑑定に突入しました。過失論争では、@肺炎などの他疾患との鑑別を理由に経過観察にしたことが適切であったか、A気管支鏡検査の結果が陰性であったことを理由に経過観察にしたことが適切であったかが争われたとともに、B患者さんが身内の結婚式を理由に気管支鏡検査の延期を希望したことが検査拒否と評価すべきかが争われました。また、因果関係論では、被告病院は、肺腺癌のダブリングタイムを根拠に、初診時にすでに骨転移が生じていた可能性があり、仮に適切な検査・治療を実施したとしても生命予後は変わらなかった可能性があるとして、患者さんの死亡との間の因果関係を争ってきました。
これに対し、原告側は、@については、腫瘤陰影の最大径が3pを超えるものは90%以上悪性であるという医学的知見を根拠に、経過観察は不適切と主張しました。Aについては、末梢肺野の病変は的確に採取することが難しく偽陰性が少なくないことを理由に、経過観察は不適切で他の検査(経皮的肺生検など)を実施すべきであったと論じました。Bについては、検査を結婚式後に行うことの根拠にはなりえても、検査自体を見送って経過観察にすることを正当化できないと反論しました。
カンファレス鑑定の結果、遅くとも結婚式の直後には気管支鏡検査を実施すべきで、検査結果が陰性であれば他の検査を遅滞なく実施すべきであったという意見が得られたので、過失については概ね原告側に有利なものとなりました。また、因果関係についても、ダブリングタイムを根拠に骨転移の時期を推定することはできない点で鑑定人の意見は一致しました。ところが、結婚式直後の患者さんの臨床情報が不足していたために臨床病期を推定できず、臨床病期毎に場合分けして予後に関する意見が提出されるにとどまりました。
この事例では、幸いにして、被告が原告に2000万円を支払うという内容の和解が成立しましたが、裁判所は因果関係についてはかなり疑問を持っていたようでした。結婚式の直後に気管支鏡検査を実施しなかった点に過失があるとしても、この時から肺がんが発見されるまでの期間は、約4ヶ月程度にとどまります。肺がんは他の固形癌と比べても予後が悪く、治療成績も芳しくないという実態があります。
もっとも、これは肺がんに限られませんが、がんの見落とし事案や適切な検査を怠ったという事案では、全身に対する精密検査を実施していないため、過失時点の臨床病期を確定できません。この事例でも、主治医は胸部X線検査で経過観察していただけなので、リンパ節転移の有無も評価できないし、骨転移以外の遠隔転移も不明です。特に縦隔リンパ節転移の有無に関する情報がないことは致命的です。遠隔転移がなくても、縦隔リンパ節転移がある場合の予後は一般的に悪いからです。
しかしながら、この臨床情報の欠如は、そもそも医師の過失(適切な検査を怠ったこと)に起因するもので、その不利益を患者側に帰するのは不合理でもあり不公平です。そこで、原告側としては、最高裁判例(最高裁平成8年1月23日第三小法廷判決)を引用して、臨床情報の不足を理由に患者に不利益な判断をすべきではないと主張しました。嬉しかったのは、裁判長が、依頼者の前で、「力のこもった準備書面(原告側の主張書面)拝見しました。裁判所としては2000万円の和解案を提案します。この種の事案でこの金額は破格の提案です。」と言ってくれたことです。
他の弁護士が代理人だったら、ここまで高額な和解案は提案しなかったということを述べてくれたのです。弁護士冥利に尽きる形で事件を終了することができ、依頼者にもとても喜んでもらえました。最後に依頼者から、「これでもう先生とお会いすることはないんですね。寂しい気がします」と言われたのを思い出します。長い訴訟活動の中で、いつしか依頼者と弁護士との間に戦友のような感情が生まれたのだと思います。