患者さん(女性、50代)は、集団検診のオプションで、マンモグラフィーによる乳癌検診を受けましたが、その時は異常なしとされ、その約1年後のマンモグラフィー、超音波検査、病理学検査などで乳癌と診断されました。このとき、リンパ節転移と脳転移が見つかりました。したがって、患者さんの臨床病期はW期となり、化学療法が実施されましたが、その約10ヶ月後に死亡しました。
患者さんの遺族は、集団検診の1年後に乳癌が発見されたことから、集団検診時にすでに乳癌であった可能性を疑い、当法人に相談に訪れました。医療調査として受任し、協力医に相談したところ、集団検診で実施されたマンモグラフィーに、乳癌の可能性が否定できない所見が認められました。
協力医の評価では、カテゴリー3(良性、ただし悪性の可能性を否定できない)か、もしくはカテゴリー4(悪性の疑い)ということでした。もっとも、協力医の見立てでは、死亡との間の因果関係は疑問とのことでした。なぜなら、見落としから約1年後には臨床病期がW期で発見されており、その10ヶ月後には死亡するに至っていることから、病勢の進行が速いと考えられるからでした。
当法人としては、因果関係に関する協力医の意見には若干の疑問がありました。まず、患者さんが罹患した乳癌の組織系は、乳頭腺管癌(papillotubular carcinoma)でした。浸潤性乳癌の組織系は、乳頭腺管癌・充実腺管癌・硬癌に分類されますが、この中で乳頭腺管癌が最も予後がよいとされていました。また、「マンモグラフィーガイドライン第3版」(25頁)によると、乳頭腺管癌は予後が良好でリンパ節転移も低率とされていました。
次に、この患者さんの乳癌の分子生物学的マーカーは、ER(エストロゲン)陽性、PgR(プロゲステロン)陽性、HER2陰性でした。ERとPgRは女性ホルモンですが、調べると、これが高発現であればあるほど予後が良いとされていました。これらのマーカーが1%でもあれば陽性となるのですが、この患者さんの場合は、ERが80%、PgRが70%であったため、高発現と評価できました。このタイプは、ホルモン療法の治療成績も良好で、予後の改善が期待できるのです。
そうすると、乳癌が見つかる1年前の集団検診時には、リンパ節転移・脳転移も生じていなかった可能性が十分考えられ、そのときに治療を開始していれば、根治ないしはかなりの長期生存もありえたと考えられました。仮に、根治ないし長期生存の立証が不成功に終わっても、いわゆる「相当程度の可能性法理」により、数百万円程度の慰謝料が認容される見込みは十分あるとの見立てで提訴に踏み切りました。
被告病院は、集団検診時のマンモグラフィーに認められる所見が、先のカテゴリー3ないし4に相当することについては争ってきませんでしたが、見落としについては過失の存在を争ってきました。実は、集団検診における癌の見落としに関する紛争の多くは肺癌なのですが、患者側の請求のほとんどが裁判で棄却されているのです。被告病院は、集団検診で実施される胸部X線写真の肺癌見落としに関する棄却判例を多数引用し、過失がないと反論してきたのです。本事例は乳癌ですが、集団検診であることに変わりはないので、異常所見の検出力は低いと論じてきました。
実は、肺癌の見落としで棄却判例が多いのには、特殊な背景があります。集団検診における胸部X線撮影の受診者は数も膨大で、読影医は流れ作業で画像を読影しているという実態があるのです。中には、1枚の画像を読影するのに9秒しかないという報告もあります。しかも、呼吸器・放射線科などの専門医の読影医を確保するのが困難で、読影医の多くが非専門医という実態もあります。したがって、陰影が小さかったり、見落としやすい場所(肺尖部や横隔膜の下、縦隔付近など)にあると、異常所見の指摘が難しいのです。しかし、乳癌は全く事情が異なります。
乳癌検診を受ける人は女性だけで、しかもオプションです。受診者の数は限られているはずです。加えて、乳癌の集団検診では、マンモグラフィー検査の読影医としての認定を受けた者が読影を担当しているので、非専門医が読影している胸部X線検査とは根本的に事情が異なります。このような背景の違いを丁寧に論じて反論したところ、被告病院からこの点に関する反論は全くありませんでした。
因果関係論については、先に述べたとおり、患者さんの罹患した乳癌が予後の良いタイプであることを多数の医学文献によって丁寧に論じました。しかし、こちらにも弱みがありました。協力医の見解が因果関係に関しては疑問としていたため、この裁判では協力医作成の意見書を提出しなかったのです。鑑定を申し出ることにも躊躇しました。
もし鑑定人が協力医と同じ意見を述べれば、因果関係の立証は絶望的です。過失が認められても、数百万円の和解で終結することになると思われます。そこで、訴訟戦術としては、原告・被告間の医学論争で、被告病院の弁護士さんを「勝ち目はない」という心理状況に追い込み、こちらから和解を打診することにしていました。裁判所からの和解の提案はありませんでしたが、こちらから被告病院の弁護士さんに和解を打診したら、渡りに船であるかのように飛びついてきました。
そして、思い切って、2000万円での和解を提案したら、相手から一切減額交渉されずに、2000万円で和解がまとまりました。2000万円という金額は、死亡慰謝料に相当し、失われた労働収入などの逸失利益は含んでおりません。
もし死亡との間の因果関係が肯定されると、賠償額は到底2000万円ではすまなくなるので、被告病院の弁護士さんも悪い話しではないと考えたのだと思います。はじめから判決を目指さず、和解狙いで提訴しましたが、こちらの弱みに気づかれず、高額和解で終結できました。被告病院の弁護士さんが、あまり医学論争に得意でなかったことも幸いしています。