弁護士・医学博士 金 ア 浩 之
患児(当時3歳の男児)は、昭和30年9月6日、化膿性髄膜炎のため、東大医学部付属病院(小児科)に入院した。入院当初の患児の主訴は、高熱(40度3分)と痙攣発作で、髄液検査の所見では、髄液中の細胞数が著明に増大(5776/1o3。なお、正常値は、10/1o3以下)しており、また、前胸部には点状出血斑が認められ、毛細血管が脆弱で出血傾向が認められた。
そこで、同年9月6日から同月16日にかけて、本件患児に対し、ルンバ―ル(腰椎穿刺)による抗生物質(ペニシリン)の髄腔内注入治療(以下、「ルンバ―ル」という)が10回施行された。その結果、患児の熱は40度を超える高熱から37度前後まで下がり、髄液中の細胞数も著明に減少した(5776/1o3から72/1o3に減少)。そして、患児は、母親と会話もできるようになるまで回復したのである。
もっとも、髄液中の細胞数は、正常値と比べれば依然として高値を示し、ケルニッヒ症候も陽性で絶対安静が指示され、ルンバールによる治療の継続が必要と判断された。そして、同月17日、11回目のルンバールが施行されることになった。当該ルンバ―ルは、患児が昼食をすませた約20分後に実施されたが、体力の著明な回復もあり、この時は、患児が治療に対して強い抵抗を示した。そこで、嫌がって泣き叫ぶ患児に対し、3人の医師らが馬乗りなどして押さえつけ、強引にルンバ−ルが施行されたのである。そして、患児の抵抗が強かったこともあり、何度か穿刺に失敗し、終了するまでに約30分を要している。なお、この時に採取した髄液所見は水様性で、異常所見は確認されなかった。
ところが、ルンバ−ルが終了して約15分〜20分後に、患児は、突然、嘔吐、意識混濁、痙攣発作を起こし、その後、呼吸も停止したため、人工呼吸が開始された。自発呼吸開始後、医師は、脳出血を疑って治療を開始し、脳出血に対する治療は、11月1日まで継続された。そして、患児は、翌2日に退院したが、右半身麻痺、発語障害、知能障害、性格障害等の重篤な後遺障害を残すこととなった。
1 訴訟上の因果関係の立証
最高裁は、訴訟上の因果関係の立証について、次のように判示して、原判決を破棄・差戻しとした。
「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを要し、かつ、それで足りるものである。」
2 本件への当てはめ
最高裁は、訴訟上の因果関係の立証に関する上記規範を本件に当てはめて、次のように判示した。
「重篤な化膿性髄膜炎に罹患した3歳の幼児が入院治療を受け、その病状が一貫して軽快していた段階において、医師がルンバ―ルを実施した後、嘔吐、痙攣発作等を起こし、これにつづき右半身痙攣性不全麻痺、知能障害及び運動障害等の病変を生じた場合、右発作等が施術後15分ないし20分を経て突然生じたものであって、右施術に際しては、もともと血管が脆弱で出血傾向があり、かつ、泣き叫ぶ幼児の身体を押さえつけ、何度か穿刺をやり直して右施術終了まで約30分を要し、また、脳の異常部位が左部にあったと判断され、当時化膿性髄膜炎の再燃するような事情も認められなかったなどの事実関係のもとでは、他に特段の事情がない限り、右ルンバ―ルと右発作等及びこれにつづく病変との因果関係を否定するのは、経験則に反する。」
1 鑑定意見と下級審の判断
1審は、本件ルンバ―ルと患児の後遺障害との間の因果関係を認めたが、医療側の過失を否定して患者側の請求を棄却した(東京地判昭和45年2月28日)。これに対し、2審は、過失の有無について判断することなく、因果関係を否定して患者側の控訴を棄却している(東京高判昭和48年2月22日)。因果関係との関係で大きな争点となったのは、本件ルンバ―ルによって患児に脳出血、後遺障害が残ったのか(患者側の主張)、それとも化膿性髄膜炎の再燃により本件発作、後遺障害が残ったのか(病院側の主張)である。
本件では、1審で3名の医師による鑑定が実施され、2審ではさらに2名の医師による鑑定が実施されている(合計5名の医師による鑑定)。これらの鑑定人の中で、患者側が主張する機序を積極的に肯定する者はいなかった。ルンバ―ルを施行して脳出血を生じた症例をどの鑑定人も経験したことがなかったからである。むしろ、病院側が主張するように、化膿性髄膜炎の再燃によって本件発作等が起こった可能性の方が高いとする鑑定意見が大勢を占めた。したがって、鑑定人らの意見を前提とする限り、因果関係を認めることは困難な事例であったといえる。
2 最高裁が採用した因果関係の判断枠組み
東大ルンバ―ルショック事件に関する最高裁判決は、因果関係の証明度について高度の蓋然性を要求したものとして紹介されることが多いが、この最高裁判決の特筆すべき内容は、一点の疑義も許されない自然科学的証明を不要とした点にある。医療訴訟においては、因果関係の有無をめぐって病院側から「他原因」の主張が提出されることが少なくなく、しばしば不毛な科学論争に陥る。最高裁が、このような科学論争を排斥し、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるもので足りるとした点に先例としての価値がある。
そして、最高裁が“通常人”による判断を基礎に置くとしても、医学的知見を無視した経験則の当てはめで因果関係を肯定したわけではないことに注意が必要である。本件では、10回に及んだルンバ―ルの治療により、髄液中の細胞数は、5776から72までに減少した。正常値が10であることから依然として異常値を示すものではあるが、劇的な改善が認められたことに異論の余地はないだろう。また、本件患児には、もともと血管が脆弱で出血傾向が存在したことは、何らかの原因で患児に脳出血が生じたことと矛盾しない。加えて、脳の異常部位が左部にあったとする脳波所見は、化膿性髄膜炎の再燃よりも脳出血の可能性を支持する所見である。化膿性髄膜炎の再燃であれば一般的にその異常所見は広範囲に及ぶものであるが、脳出血の場合、出血部位を中心とした局所的・限局的な異常所見であることが多いからである。要するに、これらの臨床所見や医学的知見は、患者側が主張する機序と両立するのである。
本件では、当該ルンバ―ル施行直後に発作等が出現したという原因と結果の時間的接着性に加え、最後のルンバ―ル施行時だけ泣き叫ぶ患児を押さえつけルンバ―ル治療の終了に30分も要したという異常性が介在している。このような経過は、通常人をして、少なくとも「当該ルンバ―ルが原因」なのではないかと疑わせるのに十分な事情であろう。これに加えて、上記のとおり、一貫して軽快に向かっていた臨床経過と、医師らが脳出血に対する治療を行ったという事実、さらには患者側の主張する機序と臨床所見及び鑑定結果が両立することをもって、「ルンバ―ルが原因であるに違いない」との確信に至っていると理解することができる
ところで、余談であるが、おそらく本件患児の脳出血の原因は、当該ルンバ―ル施行時の急激な血圧上昇にあったのではないかと推察する。脳出血の原因の約8割は高血圧であるといわれているからである。もちろん、当時3歳児であった患児が高血圧症に罹患していたとは考えにくい。しかし、問題となった11回目のルンバ―ルの際は、病態の著明な改善もあったせいか、患児は治療に激しく抵抗している。穿刺に何回か失敗してルンバ―ルの終了に30分も要したことは、患児の抵抗が相当激しかったことを物語っている。この時の患児の血圧の推移は明らかでないが、当該ルンバ―ルの施行が本件患児に相当の恐怖を与え興奮させたことは想像に難くない。そうだとすれば、この時に与えた恐怖感ないし興奮が患児の血圧を急激に上昇させたことで、もともと血管が脆弱であったために脳出血を惹起したという機序が最も説明しやすい。ところが、本件ルンバ―ル施行時の態様における異常性→恐怖・興奮による血圧の急激な上昇→脳出血という機序は、そもそも鑑定事項になっていなかった。本件では、あくまでもルンバ―ルという手技それ自体が直接の原因となって脳出血を引き起こしたか否かが鑑定事項となっていたのである。鑑定人らが指摘するように、ルンバ―ル自体が直接の原因となって脳出血が起こるとは考えにくい。したがって、鑑定事項を前提とする限り、ルンバ―ルを原因とすることには消極的にならざるを得ない。このことが、本件の真相究明を難しくしたものと思われる。
3 作為型医療過誤と悪しき結果との間における因果関係
前述したように、脳出血を発症させた機序に関する鑑定人らの意見は、患者側にとってはいずれも絶望的なものであった。本件では、血圧の急激な上昇による脳出血の可能性は鑑定事項となっておらず、あくまでもルンバ―ルという手技自体から生ずる脳出血の可能性が検討されていたからである。そして、鑑定人らの意見は、ルンバ―ルによって脳出血が起こることは考えにくいという点で概ね一致していた。そうすると、鑑定結果を前提とする限りにおいて、ルンバ―ルが脳出血を起こさせる確率は、0%ではないとしても極めて小さいことになる。
このような医学的知見を前提にしながら、最高裁が“高度の蓋然性”を認めたことを理解するためには、“作為型医療過誤の特徴”を理解することが重要である。作為型の場合は、具体的な医的侵襲行為が存在している。そして、問題となっている侵襲行為の前後に跨がって、事案毎の個別事情や異常性の介在など、因果関係の有無を判断する際に有益な資料となる具体的な臨床情報が豊富に存在する。このことが、一般論を超えて、当該事案に即した因果関係の判断を可能にしているのである。
本事例との関係でいえば、当該ルンバ―ル施行直後に本件発作等が生じたことや、施行前までに患児の病勢は著しく改善していたという臨床経過がある。加えて、血管の脆弱性と出血傾向という本件患児の個別事情や、泣き叫ぶ患児を押さえつけルンバ―ルを半ば強引に実施したという異常性も介在している。このような臨床情報は、一般論としてはともかく、少なくとも本件ではルンバ―ルが原因と考えることを正当化し、それ以外の原因は考えがたいという心証形成を可能にする。
この点について、最高裁平成11年2月25日第一小法廷判決に関する八木一洋調査官の解説が参考になる。平成11年の最高裁判例は、不作為型の医療過誤における因果関係の判断枠組みについて判示したものであるが、不作為型と対比しながら、作為型医療過誤の特色についても言及されているからである。
八木調査官は、「第一次的な問題は、およそ当該侵襲行為と当該結果発生との間に現象面での連続性が存在するか否かの点にある。」としたうえで、「当該行為に連続して当該結果が起こることがあるということが高度の蓋然性をもって証明されたならば、客観的、統計的な発生の確立が小さくとも、因果関係の存在が否定されるものではない。」と解説している。
このような理解にしたがえば、作為型の医療過誤においては、当該侵襲行為と当該結果との間に現象面での連続性が存在するか否かが検討されることになる。この時、統計的な結果発生の確率は参考になり得ても決め手にはならない。どんなに確率が小さくても、0%でなければ現実的に起こりうるからである。そこで、次に問題となるのは、当該侵襲行為から当該結果が生じたことを認めるに足りる個別・具体的な事情が存在するか否かである。そして、そのような事情を検討したうえで、当該侵襲行為と当該結果発生との関係が高度の蓋然性をもって証明されれば、因果関係は肯定されうるということになる。
作為型の医療過誤においては、具体的な侵襲行為が存在しており、それ自体が患者に対し何らかの有害事象を生じさせる危険性を有している。そして、その際には、当該侵襲行為の危険性の大小に加え、行為態様の異常性の大小や当該結果を生じさせうる患者側の事情など、結果発生に因果的影響を及ぼす判断材料が豊富に存在することも珍しくなく、因果関係の存否を判断するうえでの助けとなる。
医療訴訟の実務では、現代においても、因果関係の存否をめぐって高度な科学論争に発展することが多い。そして、それは時に、医療側が提出した“他原因”の可能性をめぐって、しばしば不毛な科学論争に陥る。その原因は、おそらく、医療訴訟に関わる裁判官や弁護士が、東大ルンバ―ルショック事件判決の真意を理解していないことにあると思われる。
というのも、抽象的可能性にとどまる他原因が医療側から提出されると、裁判官から患者側の弁護士に対し、他原因の可能性を排斥できる根拠を示すように求められることが実務でしばしば体験されるからである。可能性として起こりうる他原因を全て否定できる根拠を示すことは、一点の疑義も許されない自然科学的証明を行うに等しい。しかし、実務では、いまだにこのような釈明権行使、訴訟指揮が下級審の裁判官によってなされている。
このような実情を踏まえると、昭和50年に出された東大ルンバ―ルショック事件判決は、現代においてもなお異彩を放つ重要判例であり、医療訴訟に携わる法律家の全てが理解しなければならない最高裁判例であるといえよう。