弁護士・医学博士 金 ア 浩 之
患者は,平成11年6月末日,食事中に喉が詰まる感じがし嘔吐することもあったため,被上告人である本件医師を受診した。本件医師は,急性胃腸炎等を疑い,同年7月24日に内視鏡検査を実施した。ところが,患者の胃の内部に大量の食物残渣があったため十分な観察はできなかった。患者の胃幽門部や十二指腸には通過障害の所見を認めなかったのであるから,胃の内部に大量の食物残渣があること自体異常を疑わせるものであるのに,本件医師は,患者に内服薬を処方して経過観察とした。その後,患者は,症状の悪化のため他院を受診し,同年10月7日から同月19日にかけて実施された胃の内視鏡検査,CT検査等の各種検査を経て,スキルス胃癌と診断された。患者には腹水も認められ,腹膜播種も疑われたことから,すでに根治手術の適応はないと診断され,同月22日から化学療法を受けたが,平成12年2月4日、患者は死亡した。
一審(大津地判平成13年9月26日)は,医師の過失を認めたが死亡との間の因果関係は認められないとして患者側の請求を棄却し,原審(大阪高判平成14年9月13日)は,死亡との間の因果関係が認められないことに加え,相当程度の生存可能性も認められないとして患者側の控訴を棄却した。この原審の判決を不服として,患者側が上告した。
最高裁は,前記平成12年判決を引用したうえで,診療契約上の債務不履行についても同様に解されるとして,「早期に適切な治療等の医療行為が行われていたならば,患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性が証明されるときには,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき診療契約上の債務不履行責任を負うものと解するのが相当である。」と判示した。そして,これを踏まえ,本件における相当程度の可能性の有無については,「被上告人が実施すべき上記検査を行わなかったため,上記時点における患者の病状は不明であるが,病状が進行した後に治療を開始するよりも,疾病に対する治療が早期であればあるほど良好な治療効果を得ることができるのが通常であり,患者のスキルス胃癌に対する治療が実際に開始される約3ヶ月前である上記時点で,……適切な治療が開始されていれば,特段の事情がない限り,患者が実際に受けた治療よりも良好な治療効果が得られたものと認めるのが合理的である。これらの諸点にかんがみると,患者の病状等に照らして化学療法等が奏功する可能性がなかったというのであればともかく,そのような事情の存在がうかがわれない本件では,……患者が死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったというべきである。」と結論づけた。
この最高裁判例は、一般的に、相当程度の可能性法理が債務不履行責任についても適用されることを承認したものとして紹介されることが多い。
患者の医療機関に対する損害賠償請求の法律構成には、不法行為構成と債務不履行構成があるが、そのいずれの構成によっても請求できるというのが定着した判例実務である。もっとも、患者側にとっては、遅延損害金発生の起算点との関係では不法行為構成のほうが有利であり、請求権の時効消滅との関係では債務不履行構成のほうが有利である。もっとも、医師の法的責任の有無に直結する過失と因果関係については、不法行為構成あるいは債務不履行構成のいずれによる場合であっても、その要件、効果に関して統一的に理解するべきであると解されている。
相当程度の可能性法理を初めて採用した最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決は、患者側が不法行為構成による損害賠償請求をしていた事案であったため、債務不履行構成による場合にも、この法理が適用されるのか否かについては言及していない。もっとも、上記のとおり、不法行為構成と債務不履行構成で統一的に理解すべきだとすると、債務不履行構成の場合にこの法理の適用を排除すべき理由はないことになる。本判決は、そのことを確認するもので、この点に関する実務への影響は少ないものと思われる。
この最高裁判例の重要性は、むしろ、別の論点にある。
確かに、相当程度の生存可能性の証明は、死亡との間の因果関係を証明することと比較すれば、容易であることは疑いない。しかしながら、相当程度の可能性を具体的に証明しようとすると、それを証明することは必ずしも容易ではない。例えば、生存可能性が40%であったことを証明しようとした場合、当該事案に即した適切な統計資料を見つることができなければ、証明することは困難だと思われる。
ところが、本最高裁判決は、有効な治療法が存在し、かつ、その治療が奏功しない特段の事情がない限り、有効な治療効果が得られたものと認めるのが合理的であるとした。これは、「病状が進行した後に治療を開始するよりも、疾病に対する治療が早期であればあるほど良好な治療効果を得ることができるのが通常」であるという経験則を適用して、相当程度の可能性の存在を推認できるとした趣旨と解される。したがって、@有効な治療法がない場合、A有効な治療法があっても、当該患者に対し適応がない場合、B適応があっても、その治療法が当該患者に対して奏功しないような特段の事情がある場合には、この推定は働かないことになる。
もっとも、このような経験則による事実上の推定は、この法理が適用されるための要件として、どの程度の生存可能性を要するかという問題と関連してくるものと思われる。例えば、仮に、要件となる「可能性の程度」が40%以上であることを要すると解した場合、有効な治療法が存在することで、直ちに、40%以上の生存可能性の存在が推認されると考えるのは、明らかに飛躍している。これに対して、要求される生存可能性の程度が低くなればなるほど、逆に、有効な治療法が存在することから生存可能性を推認することは経験則上容易になるはずである。相当程度の可能性法理に関する前記平成12年最高裁判決の事案は、「生存可能性は20%以下である」という鑑定意見が存在することを前提としていた。そうすると、この法理は、生存可能性が相当小さくても適用されることを意味している。その結果、有効な治療法が存在することで、生存可能性を推認することも容易となる。
したがって、本判決が認めた経験則による事実上の推定は、前記平成12年最高裁判決の判断枠組みと整合するものと理解できる。そして、本判決が示した判断枠組みによって、患者側の立証負担が大きく軽減されたことになる。このように、本判決は、有効な治療法の存在が生存可能性の存在を事実上推認させることを認めたという点で、意義が大きい最高裁判例として位置づけることができよう。