弁護士・医学博士 金 ア 浩 之
患者は,昭和63年10月29日、下肢の骨接合術・骨移植術の手術を受け、平成元年1月に退院した。そして、同年8月頃に、ボルト抜釘の手術のため、再入院するまでの間、左足の腫れを訴えることがあったが、それに対する検査・治療を受けたことはなかった。ボルトの抜釘手術を終えて退院した後は、患者は、自らの判断で当該病院への通院を中止した。
それから約9年後の平成9年10月22日、患者は、同病院に赴き、手術後から左足の腫れが継続していることを訴え、X線検査等が実施されたが、異常所見は認められず、これに対して、何らかの措置がなされることもなかった。なお、その翌年の平成10年、患者は、本件とは別の主訴で、当該病院で受診したが、この時は、左足の腫れを訴えることはなかった。平成12年2月頃、左足に無数の痣が出現するなどの増悪傾向を示したため、患者は、再び同病院で受診したが、皮膚科での受診を勧められるにとどまった。ところが、患者は、平成13年4月から10月の間に、他院において、左下肢深部静脈血栓症と診断されるに至り、その後、後遺症が残った。
第1審は、原告の請求を棄却したが、原審は、平成9年10月22日の時点で、当該病院が、専門医を紹介するなどの義務を怠った過失を認め、期待権侵害を理由に、慰謝料300万円を認容した。そこで、当該病院は、原審の判決を不服として上告受理申立をした。
「医師が、患者に対して、適切な医療行為を受ける期待権の侵害のみを理由とする不法行為責任を負うことがあるか否かは、当該医療行為が著しく不適切なものである事案について、検討し得るにとどまるべきものであるところ、本件は、そのような事案とはいえない。」
本判決は、医師の過失と死亡との間の因果関係及び相当程度の可能性の存在が証明されなかった場合において、いわゆる期待権侵害のみを理由とする不法行為責任の成立を原則として否定した。この判決は、最高裁平成17年12月8日第一小法廷判決(判時1923号26頁、判タ1202号249頁)の多数意見の立場を踏襲するものである。したがって、期待権侵害に関する最高裁の基本的立場は、ほぼ固まったものと評価できる。
相当程度の可能性法理が登場する以前は、期待権という概念が、相当程度の可能性が存在する場合も包含していたので、「期待権侵害のみ」の場合が意識的に議論されることはなかった。しかしながら、相当程度の可能性法理が登場したことによって、期待権侵害の射程は、文字通り、期待権侵害のみの事案に限られることになり、この問題が顕在化したといえる。
期待権侵害のみを理由とする不法行為責任の成否を検討するに際して看過してはならないのは、医師の過失が認定されれば、期待権侵害も認定される余地があることである(注1)。そうすると、この問題の本質は、医師に過失が認められれば、それだけで当然に医師に不法行為責任を負わせることが妥当か否かという点に帰着する。もし、これを許容すれば、実質的には、過失の存在のみを理由とする不法行為責任の成立を認めることに等しくなる。
もっとも、本判決は、過失が認定された医療行為が、「著しく不適切なもの」である場合、「検討し得るにとどまる」として、期待権侵害のみを理由とする不法行為責任が成立する余地を残した。この「著しく不適切」という概念は、「重過失」と同義なのか、それとも、「医療行為の名に値しない」(前記最判平成17年12月8日の才口裁判官補足意見)と評価されるほどの逸脱事例を指しているのかは判然としない。また、本判決は、「著しく不適切」であると認定されたとしても、直ちに不法行為責任が認められるとしたわけではなく、「検討し得るにとどまる」として、その成否を留保している。このような最高裁の慎重な姿勢からすると、医師の医療行為が著しく不適切であったと評価された場合であっても、依然として、医師の不法行為責任の成立が否定される余地を十分に残している。
ところで、本最高裁判決は、医師の不法行為責任の成否に関するものであるが、債務不履行責任の成否が問題となっている事案においても、同様に解してよいか。この点に関し、福岡地判平成25年11月1日(判例秘書搭載)は、相当程度の生存可能性の証明がないとしたうえで、本最高裁判決の射程を不法行為責任の成否に関するものと位置づけて、債務不履行による慰謝料180万円を認容した。この下級審判例は、不法行為責任と債務不履行責任とで、その要件・効果を統一的に理解してきたこれまでの判例実務と相反するものである。したがって、今後、この論点が最高裁で問題となった場合、不法行為責任との均衡を考えても、債務不履行責任の成立も否定される可能性が高いのではないかと推察する。
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(注1)最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決(民集54巻7号2574頁、判時1728号31頁、判タ1044号75頁)が、救命可能性20%以下とする鑑定意見を踏まえ、相当程度の可能性法理の適用を認めていることから、期待侵害のみという場合は、相当程度の可能性がほとんどない場合であるものと思われる。